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“がんばりすぎる”クセ ― 強く見せてた自分との付き合い方

リード文:
「しっかりしてるね」「えらいね」――そんな言葉に励まされながらも、どこかで「もうがんばれない」と感じていた自分がいました。支援を求めることをためらい、“できる自分”でい続けようとした日々。だけど、ある気づきから、私は少しずつ“がんばらない自分”も受け入れられるようになりました。その道のりを、正直に綴ります。

目次

1. はじめに ── 「しっかりしてるね」がつらかった

「すごいね」「しっかりしてるね」そう言われるたび、うれしいような、でもどこか、息苦しいような気持ちになっていました。もちろん、ほめ言葉なのはわかっています。でも、たとえば学校でも職場でも、“弱音を吐けない空気”が、言葉のあとにじわっと残るんです。

私は、電動車椅子を使って生活しています。支援を受ける場面も多いけれど、だからこそ「できることは自分でやろう」と、ずっとがんばってきました。でも、あるとき気づいたんです。「がんばること」が自分を守るためのクセになっていたということに。

2. “がんばる”ことが自分を守る手段だった

思い返せば、小さなころから「手伝うよ」と言われるたびに、「大丈夫!ひとりでできるよ!」って返すのがクセになっていました。本当にできることもあれば、ちょっと無理してるときもありました。

がんばれば、評価される。がんばれば、「すごいね」って言ってもらえる。がんばれば、堂々としていられる。そんなふうに、“がんばること”が私の中で自分の価値を証明する方法になっていました。

3. 頼るのが下手だった過去の自分

でも本当は、助けてほしいこと、たくさんありました。荷物を落としたときに拾ってほしい。プリントを配るタイミングを少し待ってほしい。エレベーターのボタンを押すのを手伝ってほしい。

それなのに、言えなかったんです。「言ったら迷惑かな」「また頼ってると思われたらどうしよう」「できない人って思われたくない」そんな思いが、心の中に渦を巻いていました。だから私は、「がんばってる人」でいることで、自分の弱さにフタをしていたのかもしれません。

4. 県外の大学で出会った「できないと言わなきゃ始まらない」現実

私が「支援は待つものじゃない」と気づいたのは、大学に入ったときでした。最初は、誰かが話しかけてくれるのを待っていました。でも、誰も話しかけてこなかった。それは、私に気をつかってくれていたからかもしれません。

でも思いきって自分から声をかけてみたら、少しずつ、関係が広がっていきました。道が開けたのは、“話しかけてもらう”のを待つのではなく、自分から“伝える”ことを始めたからでした。

同じように、「できない」と向き合わざるを得なかったのもこの頃です。県外の大学に一人で進学し、知っている人は誰もいない。環境もまったく違う。支援の仕組みも、自分で探さなきゃいけない。入学式の日、私は思いました。「これは、“できない”って言わないと、本当にやばいかもしれない」

5. ちょっとだけ弱さを見せられた瞬間

自分から支援をお願いするようになって、変わったことがひとつあります。それは、相手の“優しさ”に安心して甘えられるようになったということ。

たとえば、授業中に机の高さが合わなかったとき。以前なら「まぁこれくらい我慢すればいいか」と思っていたかもしれないけれど、思い切って、周りの人に相談してみました。そしたらすぐに先生が対応してくれて、友人が「気になってたんだけど、言ってくれてよかった」と言ってくれたんです。“できないこと”を見せたことで、むしろ関係が近づいた。強がってた頃には気づけなかった、人との距離の近づき方でした。

6. いま、がんばらない選択ができるようになった

がんばることは、悪いことじゃない。でも、“がんばらなくても大丈夫な場所”を持てることは、もっと大事だなと思います。今の私は、少しずつ「助けて」と言えるようになってきました。

「今日はちょっと調子が悪いので、この作業だけお願いできますか?」「これはちょっとお願いできますか?」そう言えるようになったことで、自分を守るために無理を重ねる必要がなくなりました。何より、自分のことをちゃんと伝えた上で、一緒に何かをやってくれる人との信頼関係ができていくのを感じています。

“がんばりすぎるクセ”は、今でも完全には消えていません。でも、そのクセと上手につきあいながら、「がんばらない自分」も認めてあげられるようになってきました。

7. まとめ ── 強さとやさしさを、どっちも持っていていい

昔の私は、「しっかりしてるね」と言われるのが誇らしくて、でもちょっと苦しかった。がんばることで、評価されて、安心して、でも、時々疲れ果てていました。

でも今は思います。“強く見せること”と“やさしく頼ること”は、両立していい。どっちかじゃなくて、どっちも持っていていい。支援をお願いすることは、弱さじゃない。自分を大切にするための、大切な力です。

だから私はこれからも、がんばりすぎそうなときは、ちょっと立ち止まって、「それ、本当に今の自分に必要?」と問いかけるようにしています。そして、“がんばらない”という選択も、ひとつの“強さのカタチ”として受け入れていきたいと思っています。

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