1. “支えられる”ことへの葛藤
幼い頃から、私は“支えられる側”として生きてきました。
脳性麻痺という障害を持つ私は、日常生活の多くを周りの支えに頼らざるを得ませんでした。
家族が手動車椅子を押してくれることも、学校の先生が付き添ってくれることも、
友達が荷物を持ってくれることも、すべて当たり前のように受け入れていました。
でも、心のどこかでずっと違和感を感じていました。
「自分は本当に迷惑をかけているだけの存在なのか?」
「支えられることが当然になってしまっていないか?」
感謝の気持ちがある一方で、どこか申し訳なさや、
自分の無力さを感じてしまう自分がいました。
「支えられる側」であることに慣れてしまうと、
自分が「支える側」になるなんて考えもしなかった時期もありました。
2. 小さな成功体験から始まった変化
変化が訪れたのは、中学部に上がり、電動車椅子に乗り始めたときでした。
初めて自分で動けるようになった感覚は、自由そのものでした。
それまでは、誰かに押してもらわなければ動けなかった私が、
自分の意思で前に進むことができるようになった瞬間。
斜面を下るときのスリル、風が頬をかすめる感覚、
タイヤが地面をしっかりと捉える感覚。
それらがすべて、「自分で動く」ことの喜びを教えてくれました。
そして、その感覚が広がり始めたのは、さらに先のこと。
大学に進学し、一人で生活するようになったときでした。
自分で時間割を組み、講義に出て、友人と関わる日々。
その中で、私は次第に「支えられる」だけでなく、
「支える側」にもなれるんだと気づき始めたのです。
3. 誰かの力になるということ
就職してからは、さらにその気持ちが強くなりました。
支援が必要な人たちのサポートをする仕事に就き、
「誰かの役に立ちたい」という思いが日々強まっていきました。
最初は自分に何ができるのか分からず、不安もありました。
でも、利用者の方と関わる中で、
「ありがとう」と言ってもらえる瞬間が何度もありました。
その度に、「支えられる側」から「支える側」へと変わっていく自分を実感しました。
誰かの話に耳を傾け、気持ちを理解し、寄り添うこと。
それが、私にできる「支える」形だと感じたのです。
そして、少しずつ自信がついていきました。
自分の経験が、誰かの支えになることがある。
そのことが私にとって大きな励みになりました。
4. 最後に ― 支える側としての未来
今振り返ると、支えられる側から支える側に変わることは、
決して簡単なことではありませんでした。
自分の弱さや限界を受け入れること。
他人に助けを求める勇気を持つこと。
そして、誰かの力になれる自分を信じること。
これからも、私は支える側としての自分を育てていきたいと思っています。
支えることは、ただ助けるだけではなく、
相手の可能性を信じ、共に歩むこと。
その道のりは決して平坦ではないかもしれませんが、
それでも前を向いて進んでいこうと思います。
支える側になったからこそ見える景色がある。
その景色をこれからも大切にしていきたい。
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