「誰かの役に立ちたい」「寄り添いたい」。
そんな思いで支援を届ける側になった私ですが、ある日ふと気づきました。
― 支えているつもりの自分も、実はずっと“わかってほしい”と思っていたのだと。
支援する立場であっても、人間関係に悩んだり、孤独を感じたりすることがあります。
今回は、ピアサポーターとしての実体験を通して見えてきた、「支える側」の本音を綴ります。
目次
- 1. 「支える側」になって気づいた感情
- 2. 支援の場で感じた“ズレ”
- 3. ふとこぼれた「わかってもらえない」の気持ち
- 4. 弱音を吐ける場所が必要だった
- 5. 支援者同士のつながりの大切さ
- 6. 最後に ― 支えることと支えられることの境界線
1. 「支える側」になって気づいた感情
ピアサポーターとして活動を始めた当初、「支える側」に立てたことがうれしかったです。
これまで支えられる側だった自分が、今度は誰かの支えになれる。それが誇らしく、やりがいでもありました。
でも、時間が経つにつれ、ふとした瞬間に感じる違和感がありました。
2. 支援の場で感じた“ズレ”
対話の中で相手の困りごとに共感し、サポートにつなげようとする中で、ある種の“ズレ”を感じることがありました。
「そんなふうに思っていたんだ」「その言葉は少し重かったかもしれない」
相手にとって必要なことと、自分が届けたい支援とのあいだに、小さなすれ違いが生まれることもありました。
3. ふとこぼれた「わかってもらえない」の気持ち
とある面談の帰り道、頭の中に残っていたのは、相手の言葉ではなく、自分の中の「もっと分かってほしかった」という想いでした。
ピア=対等な立場での支援。
でも、自分の気持ちを押し殺していたことに気づいたのです。
「支える側」であることに縛られて、「自分の気持ち」はどこかに置いてきてしまっていました。
4. 弱音を吐ける場所が必要だった
「しっかりしなきゃ」「支援者なんだから」
無意識のうちに、そんな言葉を自分にかけていました。
でも、私たちだって悩むし、迷うし、落ち込むこともある。
だからこそ、支援者同士で本音を語り合える時間や場所が必要なのだと、実感しました。
5. 支援者同士のつながりの大切さ
支援を「ひとりで抱えない」こと。
同じ立場にいる仲間の存在が、自分の支えになることがあります。
ピアサポートとは、当事者が当事者を支える仕組み。
でも実際には、支援者の中にもまた、サポートが必要な瞬間があるということを忘れてはいけないと思います。
6. 最後に ― 支えることと支えられることの境界線
支えることと、支えられること。その境界は、実はとてもあいまいです。
「誰かを支えたい」と思う気持ちは、自分が誰かに支えられてきた経験があってこそ。
だから私は、これからも“支える側”としてではなく、同じ目線の“ひとりの人”として、目の前の人と関わっていきたいと思っています。
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