「誰かに頼ること」はできるようになっても、「頼っている自分」を素直に受け入れるのは、簡単ではありません。
私自身、支援を受けるたびに「自分はまだ一人前じゃない」「人に頼るなんて情けない」と、どこかで自分を責めていました。
今回は、“支えられている自分”が嫌いだった時期を振り返りながら、「頼る自分」を少しずつ肯定できるようになってきたプロセスをお話ししたいと思います。
「支えられる自分」が嫌いだった頃
制度を使うこと、誰かに手助けしてもらうこと、日常の中で「ありがとう」を言うこと――。
どれも必要なことだとわかっているのに、どこかで「悔しい」と思っていた時期がありました。
支援者に丁寧に接してもらえばもらうほど、自分が“できない人”に思えてしまう。
「本当は自分ひとりでできたらよかったのに」「申し訳ないな」「こんなことで迷惑かけて…」
そんな気持ちがぐるぐるして、「頼った自分」を責めてしまう日もありました。
支援を受けること=自立できていない証のように感じていたのかもしれません。
“頼られている人”のまなざしに救われた
あるとき、何気ないやりとりの中で、支援者のひとことにハッとさせられたことがあります。
「◯◯さんが頼ってくれるって、うれしいですよ。信頼してもらえてるって思えるから」
その言葉に、「あ、頼ることって“迷惑”じゃないんだ」「むしろ、人を信じる行為なんだ」と気づかされた気がしました。
支援する側の視点に立てば、「役に立ててよかった」「力になれてうれしい」と思うこともある。
“頼ってもらえる”ことを、喜びとして受け止めてくれる人がいると知って、少しずつ「頼ってもいいかもしれない」と思えるようになったのです。
自分を肯定するには、誰かとの関係が必要だった
「自分のことは自分で決める」「自分を認めるのは自分しかいない」とよく言われます。
でも私にとっては、“他者との関係のなかで”しか自分を肯定できなかったというのが正直な実感です。
たとえば、「頼ってくれてうれしい」と言ってくれる人がいたからこそ、
「頼ってしまった自分はダメなんじゃないか」と思う気持ちが、少しずつほどけていった。
自分一人の力では、「頼る自分を受け入れる」ことはできなかったのかもしれません。
人との関係が、自己肯定の“足場”になることもある。それは、弱さではなく人間らしさだと思うのです。
まとめ:「頼ること」は、自分の弱さではなく“関係を築く力”
今でも、「もう少し自分でやれたら」と思う場面はあります。
でも、それと同時に「頼っても大丈夫」と思える自分も、少しずつ育ってきました。
頼ることは、自分の無力さをさらけ出すことではなく、「関係を築く力」でもあるのだと思います。
もし今、「頼っている自分が嫌い」と感じている人がいたら、こう伝えたいです。
いつか、「あのとき頼ってよかった」と思える日がきっと来る、と。
あなたが“誰かとつながろうとしたこと”そのものに、すでに価値があるのです。
この記事へのコメントはありません。