「自立したいけど、支援も必要。頼るのは甘えなの?」──そんな葛藤に揺れる人は少なくありません。障害当事者として、そして支援者としての経験を通して見えてきた「本当の自立」と「頼ることの意味」について、実体験をもとにお伝えします。
「自立したいけど、頼りたい」──葛藤する気持ちは矛盾じゃない
「自立したい」と思う一方で、「本当は助けてほしい」と感じる場面はありませんか?この“心の揺れ”は、障害当事者である私自身にも何度も訪れました。今回は、その正体に向き合います。
障害当事者として暮らしていると、「できるだけ自分でやりたい」という思いと、「でも正直つらいから助けてほしい」という気持ちの間で揺れることがよくあります。
私自身、学生時代や社会に出たばかりの頃、「誰にも迷惑をかけたくない」「支援に頼るのはカッコ悪い」と思っていた時期がありました。でも、無理を重ねるほど体調を崩し、心も疲弊していく。
この矛盾に気づいたとき、ようやく“自立”とは「頼らないこと」ではなく、「頼り方を知ること」だとわかってきました。
支援に“遠慮”してしまうのはなぜ?
頼ることに罪悪感を抱いてしまうのは、甘えているように思われる不安や、過去の経験に根ざしていることがあります。そこにある「背景の声」に耳を傾けます。
「すみません」「ごめんなさい」「手間をかけて申し訳ないです」──支援を受ける場面で、ついこんな言葉が口をついて出てくることはありませんか?
それは、過去に“助けてもらう=申し訳ないこと”と刷り込まれてきた背景があるからかもしれません。
特に、支援を受けたときに「甘えている」「もっと頑張れたでしょ」といった反応をされた経験があると、「もう二度と頼りたくない」と心にブレーキがかかります。
でも本当は、助けを求めることは恥ずかしいことではなく、自分の人生や健康を守るための大切な行動です。
“自立”とは「なんでも一人でやること」じゃない
自立=完全に一人でできること、と思われがちですが、それは誤解です。支援を上手に活用することこそ、現代の自立のかたちではないでしょうか。
福祉の世界では、「自立支援」という言葉がよく使われます。でも、ここで言う“自立”は「なんでも一人で完結すること」ではありません。
たとえば、私の生活には、ヘルパーさん、福祉用具、バリアフリーの住環境など、さまざまな“外部の力”が欠かせません。それでも私は「自立している」と胸を張って言えます。
なぜなら、自分に必要なサポートを自分で選び、依頼し、調整しているからです。それは、他人の手を借りながらも「自分の人生を自分でコントロールしている」状態です。
“頼る”は信頼の証。関係を築く力でもある
頼ることは、弱さの表れではなく、むしろ“人とつながる力”です。私が支援を受けながら暮らす中で得た「頼る技術」と、その意味をお伝えします。
「頼ってくれて嬉しい」と言ってくれた支援者の言葉が、今も心に残っています。頼ることは、相手との信頼関係があってこそできるものです。
実際、支援現場では「なんでも自分で抱え込んでしまう人」より、「SOSを出せる人」のほうが、関係性の中で安心して暮らしていけることが多いのです。
頼ることは、人を信用すること。そして、自分の弱さや困りごとを正直に共有できる“強さ”でもあります。
「頼る」と「甘える」の境界線を考える
では、どこまでが“頼る”で、どこからが“甘え”になるのでしょうか?支援を受ける側・提供する側、両方の立場から感じるリアルな境界について考えます。
私が大切にしている基準は、「相手の状況を想像し、自分にできることはした上でお願いしているかどうか」です。
一方的に「やって当然」と思ってしまったり、断られたときに怒ってしまったりするなら、それは“甘え”に近づいているかもしれません。
頼るとは、相手を信頼し、感謝し、互いに人としての尊厳を持ち合うこと。その姿勢さえあれば、頼ることに後ろめたさを感じる必要はありません。
まとめ:頼れることは、生きる力
“頼る”ことは、“生きること”の一部です。私たちは誰もが、誰かと支え合って生きています。
自立とは、何もかも一人でやることではありません。自分の限界や必要なサポートを見極め、必要なときに声を上げる。それは、甘えではなく、「自分らしく生きる」ための選択なのです。
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