“ひとりの時間”が教えてくれたこと
これまでの私は、人との関わりの中で生きてきました。
支えること、頼られること、チームの中で役割を果たすこと。
それが“生きること”だと思っていました。
けれどある時期、私は「ひとり」で過ごす時間を余儀なくされました。
その静けさの中で、最初は不安と寂しさばかりが押し寄せてきました。
誰かに必要とされない時間が、まるで自分の価値を否定するように思えたのです。
けれど、日々の中で少しずつ気づいていきました。
“ひとり”でいるからこそ、見えてくるものがあるということに。
「私はどうしたいのか」
「どんな関わりを大切にしたいのか」
人と離れてみて初めて、心の奥から自分の声が聞こえてきました。
“ひとり”の時間は、孤独ではなく「再出発の準備期間」だったのです。
“誰かといる”ことへの怖さ
再び誰かと関わろうとするとき、心の中に小さな“怖さ”が顔を出します。
「また傷つくかもしれない」
「うまくやれないかもしれない」
「相手に迷惑をかけてしまうかも」
過去に人間関係でつまずいた経験がある人ほど、
もう一度つながることへの不安は大きいと思います。
私もその一人でした。
「人と関わらないほうが楽かもしれない」
そう思う瞬間もありました。
けれど、心のどこかでは「それでも、誰かとつながりたい」と感じていました。
不思議なことに、“怖さ”の奥にはいつも“願い”があるのです。
人と関わることを怖がるのは、
本当は、誰かと分かり合いたい気持ちがあるから。
それは、弱さではなく“人として自然な心の反応”です。
“共に生きる”とは、支え合うだけじゃない
「共に生きる」というと、
お互いに助け合う、支え合う――そんなイメージが浮かぶかもしれません。
けれど、本当の“共に生きる”とは、
支え合いに加えて“お互いが自由でいられる関係”のことだと感じます。
心理学では「相互尊重的関係」という言葉があります。
それは、相手を尊重しながらも、自分の意見や気持ちも大切にできる関係。
つまり、「相手のために自分を押し殺す」のでもなく、
「自分の都合で相手を動かそうとする」のでもなく、
“どちらも尊重しながら存在できる距離”を見つけていくこと。
その距離感こそが、
「無理のないつながり」「息の長い関係」を育ててくれます。
私は支援の仕事の中で、たくさんの「関係の形」を見てきました。
その中で学んだのは、
“誰かと共にいる”ことは、支えるだけでも、支えられるだけでもないということ。
お互いの“違い”を受け入れながら、
「あなたはあなたのままでいい」「私は私のままでいい」と言える関係。
そこにこそ、ほんとうの“共生”があるのだと思います。
無理なくつながるための3つの工夫
① “合わせすぎない”勇気を持つ
つながりを大切に思うあまり、
つい相手に合わせすぎてしまうことがあります。
でも、それでは自分が苦しくなってしまいます。
“共に生きる”ためには、
「違ってもいい」という前提を持つことが大切です。
違いを受け入れながら、
「自分の気持ちも同じくらい大切にしていい」と思えるようになると、
関係はもっと自然で穏やかになります。
② “頼り方”と“断り方”のバランスを取る
頼ることと断ることは、どちらも勇気のいる行為です。
でも、この2つは“支え合い”の両輪のようなもの。
頼ることで相手に信頼を伝え、
断ることで自分を守る。
どちらか一方に偏ると、心が疲れてしまいます。
私は以前、「頼る=迷惑をかけること」と思っていました。
でも、信頼できる相手に“できないこと”を正直に伝えたとき、
むしろ関係が深まる経験をしました。
「断る」ことも、「頼る」ことも、
相手を信じているからこそできること。
③ “ありがとう”を素直に伝える
人との関係を穏やかにする魔法の言葉は、やはり「ありがとう」です。
大げさでなくていい。
「今日も話せてうれしかった」「手伝ってくれて助かった」――
その一言があるだけで、関係は柔らかくなります。
感謝を伝えることは、相手を喜ばせるだけでなく、
自分の心にも“満たされる感覚”を与えてくれます。
ありがとうを言葉にするたびに、
自分の中にもあたたかなつながりが生まれていくのです。
まとめ ― “共に生きる”という、やさしい選択
“ひとり”を経験したからこそ、
私は「誰かと共に生きること」の意味を、少しだけ理解できた気がします。
共に生きるとは、支配でも依存でもない。
お互いに自由でありながら、安心して存在できる関係。
それは、特別な誰かとの絆だけでなく、
日常の中にある無数のつながりにも当てはまります。
コンビニで交わす「ありがとうございます」、
すれ違いざまの挨拶、SNSでのちょっとしたやり取り――
その一つひとつが、社会をやわらかく結んでいる。
“共に生きる”とは、
「つながる勇気」をもう一度持つこと。
そして、「ひとりで生きる力」と「誰かと生きる力」を、
どちらも自分の中に育てていくこと。
人との関係に疲れたとき、
また静かにひとりになればいい。
でも、もう一度つながりたいと思えたとき、
その一歩を踏み出せることが、
本当の意味で“強さ”なのかもしれません。
🌸 あとがき
「ひとり」も「誰かと」も、どちらも生き方の一部です。
どちらが正しいということではなく、
その時々の自分に合った形を選べることが大切。
つながりに疲れたら、距離を置く。
ひとりが寂しくなったら、手を伸ばす。
その繰り返しの中で、人は少しずつしなやかに成長していくのだと思います。













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