生きがいを見失う瞬間
「私は何のために生きているのだろう」
そう感じてしまう瞬間は、誰にでもあります。
仕事に追われ、日々をこなすだけで精一杯になると、「働くこと=生きること」のように感じられ、心が空っぽになってしまうのです。
私自身もまさに今、「働くために生きているのではないか」と思ってしまう日々があります。
本来、生きるために働くはずが、その逆になってしまう。
この違和感こそが、「生きがいを見失った」サインなのだと思います。
生きがいを見失ったときの心理
心理学では、生きがいを見失った状態を「実存的空虚」と呼びます。
ヴィクトール・フランクルは、人間は意味を求める存在であり、意味を失うと無力感や虚しさに襲われると述べました。
また、仕事に過度に没頭しすぎて心が燃え尽きてしまう状態を「バーンアウト(燃え尽き症候群)」と呼びます。
- 仕事量が多すぎる
- 責任感が強すぎる
- 頼ることが苦手
こうした要因が積み重なると、心は「何のために働くのか」「何のために生きるのか」を見失いやすくなります。
これは決して特別なことではなく、責任を持って働いている人ほど陥りやすい心理的な現象なのです。
私自身の体験
私は、日々の業務に追われています。
「働きがい」は確かに感じています。
でも、夜ふと考えると「自分は生きがいを感じられているだろうか」と立ち止まってしまうのです。
「働くために生きている」ように感じる今の自分は、正直に言えば苦しいです。
頑張っているのに、心は満たされない。
それでも仕事を続けなければならない。
この葛藤の中で気づいたのは、生きがいは“働きがい”の延長線だけにはないということでした。
むしろ仕事以外の小さなこと――音楽、文章を書くこと、人との交流――そうした瞬間に「生きていてよかった」と感じることがある。
だからこそ、「生きがいを見失った」と感じたときこそ、仕事の外にも目を向けることが大切だと思うのです。
立ち直るための小さな工夫
生きがいを一度に取り戻そうとする必要はありません。
むしろ、小さな積み重ねが心を少しずつ回復させます。
① 小さな楽しみを持つ
好きな音楽を聴く、コーヒーをゆっくり味わう、自然に触れる。
こうした小さな喜びは「今日を生きていてよかった」と感じるきっかけになります。
② 信頼できる人と気持ちを分かち合う
「生きがいを見失っている」と口にするのは勇気がいります。
でも、誰かに打ち明けることで「自分だけではない」と気づけます。
人とのつながりは、生きがいを取り戻す大切な要素です。
③ 「今日一日の意味」を意識する
フランクルが強調したのは、「人生全体の意味」を探すのではなく、「今日この一日の意味」を見つけることです。
「子どもの笑顔を見られた」「誰かの役に立てた」――そんな小さな意味の積み重ねが、生きがいを形づくっていきます。
まとめ ― 生きがいは探し続けてもいい
生きがいを見失うことは、誰にでもある自然な経験です。
大切なのは、「一度失ったら終わり」ではなく、「また見つけ直せる」という視点を持つこと。
生きがいは固定されたものではなく、人生の状況や心の状態によって変化していくものです。
だからこそ、「探し続けること」自体が、生きる意味につながるのだと思います。
私もまだ、生きがいを探している途中です。
でも、その探求こそが今を支えてくれている。
同じように悩む誰かに伝えたいのは―― 生きがいを見失っても大丈夫、また探し始めればいい ということです。













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